CONCEPT MESSAGE

PEOPLE
「日本から来た会社」ではなく、
「我々の会社だ」と思って
仲間になってもらう方がよっぽど大事。

「自分の無力さ」を感じた。それでも、
「自分にやれることをやるしかない」と考え、店長になった。

個人ではできないことも、チームでなら達成できる。

最初に配属されたのは、横浜三越店(現・ヨドバシ横浜店)。当時、日本で最も売上の多い店舗でした。フリースブームの勢いもあって、バックヤードでひたすら品出ししても追いつかないくらいで、店頭に立った覚えがないほど(笑)。とにかく目まぐるしいほどの毎日でした。それが、秋冬商戦に入るとパッタリ落ち着いてしまって……。来客数も売上も低下し、自分の無力さを感じました。でも僕にやれることをやるしかないと、店長昇格試験を受けて合格し、今度は新人店長として新百合ヶ丘OPA店に着任しました。新百合ケ丘店ではスタッフが足りなくて。着任して早々に店長業務と並行して、とにかく採用面接と入社した人たちへの研修を繰り返していました。その頃に採用したスタッフは、今でもその店舗で働いていたり、店長になったりして活躍しています。横浜三越店、新百合ケ丘店での経験を通して、自分一人ではできないことも、チームでは達成していける。そのチーム作り、人の大切さを改めて実感しました。それから神奈川エリアの2店舗で店長を務めた後、2007年9月に内示を受けて、中国の上海店に店長として赴任しました。

困難に向き合って改めて感じた、「経営者としての責任」。経営者は「スタッフ一人ひとりの人生を預かっている」という、その重みを本当の意味で思い知らされた。

自分はもっとチャレンジが必要なのではないか。

もともと「海外で働きたい」という想いはありました。学生最後の旅行でニューヨークに行った時、寒い中で街行く人のほとんどがダウンかレザーを着ていて、ここでならもっとユニクロの高機能なアウターのニーズがあるのでは、と思ったのが最初です。以来、「いずれは海外に出たい」と考えるようになり、ずっと赴任希望も出していました。そんな中、2007年に当時の上司から「上海で新しいチャレンジしてみたらどうか」と背中を押してもらったんです。ちょうどその頃、この仕事で自分に何が出来るのか、何が強みなのかということを考えていました。このままでいいのか、もっとチャレンジが必要なのではないか、と。スタッフの雰囲気も良く、店舗運営はそれなりにうまくいっていました。その一方で恵まれた環境に甘んじず、ゼロから何かを作り上げるようなチャレンジをしてみたい、とも思ったのです。人材育成も業務のやり方も、ゼロから商売を組み立てたい。だからこそ、海外は格好の場でした。「レール」は自分で敷かなくちゃいけませんからね。とはいえ、特に勉強をしていたわけではなかったので、中国語は話せませんでした。「你好(ニーハオ)」「謝謝(シエシエ)」「烏龍茶(ウーロンチャ)」くらいですよ(笑)。店舗で日本人は僕ひとりだし、通訳もいない。週に5日、勤務後に語学学校に通いましたが、学校で教えてもらえるのは最低限生きていくための「サバイバル中国語」ですから、実地で言葉を拾いながら覚えていくほうがよっぽど身に付きましたね。半年くらいで相手の言葉はわかるようになりましたが、自分の言葉でフィードバックを行うことはしばらく難しかったですね。「きちんと思いを伝えられた」と納得がいくようになったのは、それから2年ほど経ってからのことでした。

中国においては「国内20店舗程度の中小企業」。

店長を1年半務めた後、その上のスーパーバイザーに昇格して、北京と瀋陽(シンヨウ)、大連(ダイレン)3都市の8店舗を管轄することになりました。なかでも印象に残っているのは、当時の上司から「なんとかしてくれないか」と直々に頼まれた瀋陽3店舗の立て直し。二つ返事で引き受けたのですが、想定していた以上に難しい状況だったんですよ。どの店も十分すぎるほど売場面積があって、スタッフも大勢いる。それなのに売上は伸び悩み、大量に在庫を抱えていたのです。僕はもちろん、CEOや部長も一緒になって現場へ出向き、課題を発見し、解決策について膝を突き合わせていろいろと考えました。そこからなんとか在庫を適正化し、お客さまに支持されるような魅力的な売り場作りを模索した結果、立て直すことができたんです。その時に感じたのは、経営者としての責任の重さでした。それまでも「自分は商売人だ」と自負していましたが、もしこれが個人商店だったとしたら、もうとっくに潰れて、スタッフもバラバラになっていたかもしれない。人が働くということは、その人の人生の一部を共にするということ。一人ひとりの人生を経営者は預かっているんですよ。その重みを本当の意味で思い知らされました。柳井社長もよく話していますが、「我々は何者なのか」と問い続けて、アイデンティティを確立していきました。当時、すでに全世界で800店舗を超え、「グローバルカンパニーだ」という自負はありました。けれども中国のお客さまにとっては、「国内20店舗程度の中小企業」なんですよ。売れない、ということは評価されていないということ。小手先のマーケティングではなく、本質的にお客さまを理解しなければ、我々を受け入れてもらえないんです。

国や文化の違いは関係ない。大切なのは価値観の共有。だからいつも研修で必ず問いかけるのは、「皆さんは何人ですか?」という質問。僕の答えはひとつ。「私は、FR人です」と。

みんな「店長になりたい、経営者になりたい」と言う。

上海は、昭和と平成が混在しているような、非常におもしろくて、勢いのある街ですよ。いいものを先入観なくどんどん取り入れていくので、あっという間に「当たり前」が変わっていきます。スマホによって商慣習も大きく変わって、キャッシュレスサービスが浸透していますね。お客さまの方が前に進んでいる感覚なので、我々も負けてはいられません。現在、中国全土で500以上の店舗がありますが、当面は香港・台湾を含めたグレーターチャイナで毎年100店舗の出店を計画しています。つまり、毎年100名の店長を育てなければいけないということです。中国では毎年約500名の正社員を採用しており、社内教育機関であるFR-MICで経営マインドを持った社員の育成を行っています。彼らと日々接していて素晴らしいと感じるのは、ハングリー精神。どんなバックグラウンドを持った人でも、みんな「店長になりたい、経営者になりたい」と言うんですよ。ユニクロを選んでくれている人たちは、「公明正大で完全実力主義なのがいい。ここで上を目指して頑張りたい」という想いなんです。成長意欲がものすごく強い。だからこそ、「彼らの想いに応えなくては。共に成長していかなくては」と責任の重さを感じています。

日本のサービスだから優れている、というわけではない。

当たり前のことですが、スタッフたちに伝えているのは「お客さまのために仕事をする」ということ。これに尽きるのかな、と。たまに「上司の見ているところではがんばるけど、いないとサボりがち」みたいなことが起こるのですが、我々の行動はいつもお客さまに見られているし、お客さまが商品を買ってくださることによって利益が生まれ、私たちのお給料にもなります。お客さまあっての私たちなんだ、ということを本気で考えて、本気で伝えなくてはスタッフの心に響きません。これはもう、言い続けるしかないかな、と思っています。ユニクロが中国のサービスを変えられると信じています。ただ、誤解して欲しくないのは、日本のサービスだから優れている、というわけではないということ。中国にも素晴らしいサービスを提供している企業はたくさんある。だから研修で必ず問いかけるのは、「皆さんは何人ですか?」という質問。僕の答えはひとつ。「私は、FR人です」と。日本と中国の文化の違いなんて、挙げてもキリがないんですよ。互いにその違いを理解するとともに、我々にはFRとしての生き方、価値観がある。「服を変え、常識を変え、世界を変えていく」という同じ志を持って共に働くことが重要なのです。「日本から来た会社」ではなく、「我々の会社だ」と思って、仲間になってもらう方がよっぽど大事ですよ。そうすれば、彼ら一人ひとりが考え、その想いを新たな仲間に伝えていくはず。これからユニクロが中国で成長し続け、100年続いていくには、そのフィロソフィーをしっかり持った人を育てていくことがカギだと思っています。